松本静子の劇場

松本静子の劇場

◆3,000文字

「また始まったよ。松本静子劇場」

 クラスメイトはそう言いながら松本のことを嘲笑う。松本の方に目を遣ると、彼女は先生と話しているところだった。舌をペロっと出して、自分の頭を軽く小突いている。

「うーわ、昔の漫画みたいな動き。可愛いと思ってるのかね」

「それな。もうすぐ高二になるのにあれって大丈夫そ?」

 松本の動きを真似しながら、隣の女子達はゲラゲラと笑っている。いつものことだった。

 松本静子という女は、とにかく演技くさく、わざとらしく、得体の知れない女だった。よく言えば清純そうにも思える。だけど、今のこの時代であんな女子は悪い意味で目立つ。もしかしたらいいところの子で、世間知らずのお嬢様なのだろうか。噂によるとスマホも持っていないだとか。金持ちの家ならスマホぐらい持ってそうなんだけど……。顔は整っているし、お嬢様だとしても納得いくんだけどな――

「おい、コガケン! 帰んないのかよ」

 友人の声で我に返る。どうも最近、松本のことが気になって仕方がない。

「ああ、ごめん。帰るけど、今日は用事あるから先に帰ってよ」

 友人にひらひらと手を振る。少し不服そうにしながらも、友人は教室から出ていった。松本を見るとスクールバッグに筆記用具を入れているところだった。口元が「よいしょ、よいしょ」という動きをしている。

 なぜ、こんなにも松本を見てしまうのだろう。好奇心だろうか。重たそうな表情をしながらスクールバッグを持ち上げ、松本は教室を出ていった。僕も急いで後ろをついていく。

松本という女が何者なのか、見極めるために。

 学校を出ると、松本は颯爽と自転車を漕いでいった。急いで僕も自転車に飛び乗るが、松本の移動速度が想像よりも早い。時折、立ち漕ぎまでしている。膝下のスカートが風を受けて大きく膨らみ、濡烏のような髪がなびいている。松本の香りがここまで飛んできそうだ。思わず、目を細めてしまう。

 さっきまで出していたスピードとは裏腹に、自転車を止めるブレーキの音は静かだった。大きめのスーパーマーケットに着くと、彼女はもたもたとした手つきで自転車に施錠をした。僕は気付かれないように、遠くの駐輪場に自転車を止める。

 ここは別にオシャレな店があるわけでも、本屋があるわけでもない。家の買い物でも頼まれているのだろうか。松本が店に入って行くのを確認してから、僕もスーパーに入った。

 入るとすぐに生鮮食品が並んでいる。松本は買い物かごを肘にかけ、商品を物色している。陽気な動きをしているので、遠くからでも鼻歌が聞こえてきそうだった。あまりにも近いとバレそうなので、僕は駄菓子コーナーの隙間から松本を覗き見する。人参や玉ねぎを持ち上げて確認しているが、なぜか神妙そうな表情をしているようにみえた。松本は玉ねぎをもとの位置に戻すと、生鮮食品の端にあるコーナーに向かった。

「減らそう。食品ロス」

 中途半端な大きさの広告が貼られていた。賞味期限が近付いているものや、少し痛み始めている野菜や果物を陳列しているコーナーだった。松本は頬に手をつき、そのコーナーを見ると次々に商品をカゴに入れた。遠くからでも、値引きのシールが何枚も重ねて貼られているのがわかる。
 結局、松本はそのコーナーにある商品だけを買ってスーパーを出た。

 気持ち悪い違和感が背中を撫でる。松本は見目も綺麗な女子高生だ。そんな松本が値引きされた商品を買い漁り、しかも買った商品は店内に無償で置いてある段ボールに詰めていた。抱いていたイメージと全く違う松本のプライベートに眩暈さえ覚える。僕のイメージでは茶色い紙袋にフランスパンを詰め、瑞々しいトマトでも買ってそうだったのに。現実では萎びたゴボウだった。

 自転車のカゴに入りきらないサイズの段ボールを選んだため、歪な形で段ボールがカゴに押し込められている。松本は自転車に乗ると、また、風のように走り始めた。

心なしか、笑っているように見えた。

 松本静子はまだ走る。ここまでの距離を自転車通学するなら、電車を使った方がいいのではないかと思う。秋といえども、じわりと汗をかいてきた。ハンドルが僕の手汗で光り始めても、松本は立ち漕ぎを交えながらスピードを上げていく。何度か見失いそうにもなりながらも、どうにか着いていった。

 松本は住宅街の一角に自転車を止めた。古いトタン屋根、今にも割れそうな木製の外壁、無造作に雑草が生えた庭……周りの住宅と比べても、明らかにこの家だけがボロボロだ。廃墟と言われても、信じることができる。松本が家に入っていくのを電柱の影から見届ける。まだ、信じることができない。この家は本当に松本の家なのだろうか。あの庭からなら家のなかを覗けるかもしれない。ここまで来たら、しっかりと確かめる必要がある。膝丈まである雑草を掻き分けて、縁側に近付いていく。

 外は少し薄暗くなってきていた。小さな虫が足元から這い上がってきそうで気分が悪い。家のなかの電気はまだ点いていないうえに、縁側のガラスもひどく汚れていて見えにくい。じれったい気持ちになって僕が家に近付いていくと、眩しすぎる照明がこちらを照らした。心臓が飛び跳ねる。古く汚い家には似合わない感知式の照明だった。思わず舌打ちをする。気付かれたら元も子もない、踵を返し家を出ようとすると、こちら見て佇む松本静子と目が合った。

「――あれれぇ、コガケンくんだよねぇ?」

 貼り付けたような笑顔だった。あだ名にくんまで付けて呼ぶその姿に寒気を覚える。松本の学校以外の姿を知りたくて尾行したが、今はもっと松本のことがわからなくなっている。

「いや、その。たまたま、松本の姿を見かけてさ! なんとなく気になって」

「ふぅん、そうなんだぁ」

 松本は少し屈むようにして僕の顔を覗き込む。

「びっくりしちゃったよな! なんかごめんな!」

 松本の圧に耐えられなくなり、話を無理やり終わらせようとした時、松本は俺の手を掴んだ。ひどく冷たい手だった。

「コガケンくん。あのね、ここで見たこと、クラスのみんなには内緒にしてほしいの。見たらわかると思うけど……私の家って古くて汚いでしょ? 昔、貧乏だってイジメられたことがあって」

 松本の瞳から大粒の涙が流れた。好奇心で松本のあとをつけた罪悪感が僕を襲う。

「――ごめん! 松本を嫌な気持ちにさせちゃって。もちろん、誰にも言わないよ」

 松本は潤んだ瞳でこちらを見つめて、微笑んだ。途端に握られている手に意識がいき、無性に恥ずかしくなる。

「ありがとう。知ってると思うけど、私ってどんくさいからみんなにバカにされやすいでしょ。貧しいとか、暗いとか思われたらもっとイジメられるから……普段はできるだけ明るくしてるの。こんなこと言うのも、コガケンくんだからだよ」

 松本は撫ぜるようにして僕の手を離した。なぜだかひどく名残惜しい。喉が渇いてくる。

そして、松本静子劇場の謎が今、解けたように思う。松本は貧しい環境のなかで、演じながら過ごさなければ、心の平静を保てなかったんじゃないだろうか。松本は決して要領のいい人間じゃない。明るい自分になりきることで、現実から逃避していたのかもしれない。

「あのさ、僕にできることがあったら頼ってくれていいから」

 秋の虫の声が近くで聞こえる。夕闇のなかで松本は笑って、ぴょんと跳ねた。

「コガケンくんって優しいんだね! あの……これからもよろしくね」

 上目遣いの視線。思わず抱きしめたくなり、くらりとする浮遊感があった。

 その時、縁側のガラスが音を立てて開いた。ずいぶんと汚れたシャツを着ている老年期の男が、そこにはいた。松本のお父さんだろうか。いや、おじいちゃんかもしれない。とにかく、挨拶をしなければ。僕は姿勢を正し、まっすぐに男を見た。

「夜分遅くにすみません! 僕、松本さんのクラスメイトの古賀と申します!」

 老年の男性はこちらを怪訝そうに見つめた。

「……誰だか知らないけど、お前らふたり、人の家でなにしてるんだよ」

 ――ふたり? 

 急に怖くなり、古ぼけたその家の表札を確認する。そこには、「田中」という文字があった。

 背中に冷たい汗が伝う。松本静子は、こちらを見て笑っていた。

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