◆実話怪談
◆1,000字
安土山
滋賀県の近江八幡市には安土山がある。
安土桃山時代、織田信長が安土城を築いたところだ。
この山は地元の人間なら皆知っている心霊スポットで、「落ち武者がでる」と口揃えて言う。
同級生の藤原も、安土山で心霊体験をしたそうだ。
大学になってすぐ車の免許を取った藤原は、友人と夜中まで遊んでいた。
まだ若いノリが捨てきれない年齢だ。
「カブトムシを捕りに行こう」と友人の津田が冗談を言ったことが始まりで、安土山に行くことになったらしい。
藤原は落ち武者の噂は知っていたし、正直に言うと嫌だったが、友人の手前怖いだなんて言えなかった。
藤原が車を出し、津田ともうひとり、鈴本を乗せて安土山へと向かった。
時間は夜中の2時。安土山は低山なので、登るのにそう時間はかからない。
山の不気味さが手伝って早足になったのか、3人はすぐに頂上に着いてしまった。
目に入る木をかたっぱしから懐中電灯で照らしてみるが、カブトムシの影すらない。
「なんだよー、ゼミでネタにしようと思ったのに」
なんて、収穫がないことを津田は不満げにしていたらしい。
「しゃーないじゃん。もう帰ろうや」
藤原がそう提案したとき、鈴本の様子がおかしいことに気づいた。
下を向き、肩を上下させている。
「こんなちょっとで息上がったなんて、体力なさすぎだろ!」
津田がそう茶化すと、鈴本は顔を上げた。
その顔は血色が悪く、唇まで紫になっていた。
夏の夜に、まるで凍えてでもいるかのような顔。
藤原はすぐに異常を察し、鈴本の傍にいった。
「おい、大丈夫か」「どうした」そう藤原が問いかけても、鈴本から返事はない。そうこうしているうちに、電池が切れたオモチャのように鈴本は倒れてしまった。
霊とか、怖いとかじゃない。やばい。
焦ったふたりは鈴本を担いで山を降りて、車の後部座席に座らせた。
「とりあえず病院へ行こう」
車を出し、安土山から離れようとする。
藤原は運転席からバックミラーで鈴本を見た。
青白い肌、血が通っていないような唇、窪んだように暗い目。
それは落ち武者の姿そのものだった。
背中に嫌な怖気を感じながら、藤原はこう思ったらしい。
「だからさ、落ち武者が出るんじゃないんよ。落ち武者みたいになるところなんや」
煙草をふかしながら、藤原はぼそりと言った。
「……今でも、バックミラーを見るのが怖いときあるわ」
安土山は今、夜には入れないようになっている。
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